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女装のたしなみ(常識・非常識)

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女装のたしなみ(常識・非常識)


私たちは、他人の欠点や改善点はよく見えるのに、自分自身の欠点や改善点を客観的に「見つめる」という作業が苦手です。


と、偉そうなことを言っていますが、これは自分への自戒を込めてのコラム記事です。


全然、スルーしても構わないです m(_ _)m


スルーしても構わないですが、もっと、自分自身を謙虚な気持ちで冷静に見つめることができるなら、女性としての立ち居振る舞いに、もっと真剣になれる、そんな気がします。


どう思いますか?


じゃあ、女性としての立ち居振る舞いとは何か?と言われれば、常識への対抗だとも言えます。


常識への対抗とは、いわゆる非常識。


常識、非常識とは、時代によっても変わってくるし、時の権力がどの方向に向かってるのかでも、大きく変わってきます。


言わば、常識とは数であり、生モノ。


時代、時代で微妙に形を変えたり変化していきます。


じゃあ、常識って何でしょうか?


常識とは、ある一定の考え方を持った人間が多くいて、その多くの人たちが、不安や恐怖を持たないようにと、また、コミニケーションを取りやすくしていくための、最低限必要な共通認識のことを常識と呼んでいます。


要するに常識とは、自己を守るための生存本能である。


とも言えます。


趣味嗜好や生き方・考え方・恋愛対象などが、その他大勢の人たちとは異なった価値観を持っていて、人数的には圧倒的に少ないもの達のことを非常識というならば、自己の生存が脅かされるかもしれないという恐怖から、その他大勢の人たちは、非常識を排除しようとします。


だから、常識とは数であり、大勢の安定を守るための暗黙のルール。


ルールだから、その時代、時代で微妙に形を変えたり変化していきます。


で、それは個人の中でも同じで、私たち個人が常に持ってる主義や行動指針なども生モノだから、時代や立ち位置、ポジションで言ってることが変わってきます。


自分と異なった価値観を持ったマイノリティーが、自分の身内に現れた場合も、その主義主張も微妙に変化することもあるのですね。


要するに、身内には甘くなるし、逆に辛く当たるとこもある。ということで、人は、その時や、その場面、立場やポジションで、コロコロと考え方が変わるし、変わって当たり前の生き物。


女子高生だからキティちゃんが好きという単純なことではなく、今はキティちゃんのことを考えているかもしれないけど、数秒後にはマージャンや将棋・体臭対策について思いを馳せているかもしれません。


だから、昨日の敵は今日の友、昨日の友は今日の敵、というふうに、考えがどんどん変わってもおかしくないですよね。


つまり、一言で言うと、人間はいい加減っていうこと。


芸能人の不倫騒動に自分なりの怒りを感じながら、次の瞬間には、憧れの人ととの淫らな行為に思いを馳せてしまうという、適当でいい加減な生き物。


正解はないし、不正解もない。


誰か専門家の人がそう言ってるから「正しいかも」とか、周りがそう言ってるから、「きっと間違ってないはず」とか、そういう「常識」こそが、コロコロと一人の人間の中でも瞬時に変わっていきます。


だから、結局は全ては仮説だと考えてちょうどいい。


権威ある専門家の人たちが発言してることは、実は今の段階で最高の仮説だということに過ぎないというならば、10年後、50年後、100年後、300年後の世界では、全くのデタラメとして扱われてる可能性だって十分にあります。


だとするならば、もっと自信を持って生きてもいいんじゃないかな。


常識は非常識に反転する可能性を常に持ってるということを、ちょっとだけ意識してみると、私たちがやってることは不正解でもないし、もちろん、正解でもない、ということに気がつきます。


犯罪はいけないけど、人間の考えは「生モノ」ということは、常に変化する可能性を持っていて、そこに「間違い」という行為は存在しないんですね。


全ては仮説なのだから。


一人の人間の中にも、拒絶と共感が、つねにクルクルと回っていて、立場やポジションで、つねに変化していく。


だったら、私たちは淡々と、美しい仕草や立ち居振る舞いを意識して、綺麗に振る舞うことだけに意識を集中していくことが重要じゃないでしょうか。


クルクルと変化する人の心に向かって、自分の抱いている正義や振る舞いを強要しても意味がありません。


強要して共感してもらっても、クルクルと移り行く人の心は、いずれ、また変わるから。


だけど、移り変わる人の心が「悪」という訳では決してありません。


そこには悪も善もなく、ただそういうもの。


だから、変化する他人をコントロールすることが不可能です。だけど、自分の中にある常識や非常識はコントロールすることができるなら、自分自身を見つめることで、美しくもなれるし、そうでなくもなれます。


私たちは、ほんのちょっとした意識の違いで綺麗に振る舞い、肌をきれいに整え、ヒゲや体毛を脱毛するという「謙虚な行動」に移すことができます。


きれいな仕草や歩き方・立ち居振る舞いは、そういった素直で、客観的に自分自身を見つめることができる謙虚な態度の中に、あらわれてくるのではないでしょうか。


クルクルと移り変わる人の心を当てにするのではなく、自分自身が美しくなる努力をする方が、きっと、私たちは、特定の価値観に囚われない人としての輝きを手にいれることができると思うのです。


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